"
[朝日新聞が明治天皇の危篤を最初に報じた]三日ぐらいあとの第一面に、内大臣の布告がある。
布告というとお上の命令の通達のようだが、これが実に、民へのあたたかい布告なのだ。
明治天皇の危篤を案じて、国民が生活を自粛して、ひそやかに暮らし出したことへの心配から、内大臣が出した布告である。
「民は、聖上陛下のご病気を心配するあまり、生活を自粛しているらしいが、それは陛下のお望みではない。いつものように暮らすべし」――吉原の遊郭は、そろって自粛し、客は寄りつかなくなり、飲み屋や料理屋も、火が消えたようになったらしい。しかし、この布告が出た翌日には、国民はゲンキンなもので、吉原はふたたび不夜城になり、女郎買いの男どもが大勢行き来しているという記事が出ている。
昭和天皇危篤の何ヶ月間、いろいろな音楽祭や催し物が、自粛としてキャンセルされたのとは、大違いだ。
— 岩城宏之『音の影』文春文庫、pp. 122-123